7月某日 美祢 宇部興産専用線跡 [専用線日記]
前回の続きです。
下関貨物を堪能した後は廃止となった宇部興産専用線(2014年3月廃止)があった
美祢へ向かいました。
まずは美祢駅の貨物ヤードへ行ってみました。かつてDD51やスイッチャー君が
留置されていた場所は・・・
雑草が生い茂っていましたが、ほぼ廃止時の状態でした。
ここの一番の撮影地だった、貨物ヤード横の大カーブも
そのままの姿を残していました。
線路内は雑草も無くきれいな状態でした。まるで今でも手を入れているかの様です。
途中の踏切も遮断棒は外されていましたが、踏切警報機自体はそのままでした。
こうして見ると、まだいつでも復活できる状態に見えます。
工場入口近くまでは線路は完全に残っていました。
風情のあった工場入口前の踏切も
遮断棒は撤去されていましたが、それ以外はそのままでした。
踏切小屋もそのままでした。
最後に工場内の方を見てみると・・・ んっ!? えっ!?
なんと!! 工場内の線路は剥されてしまっていました。 。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
工場内にいたタキ車やスイッチャー君たちも、もう解体されてしまったのでしょうか。
実は専用線廃止後、約2年前に工場見学ツアーでここを訪れた際には工場内に
タキ1100たちがまだ残っているのを確認していました。
(動いているバスの車内から撮影した為、ピントが合っていない写真ですみません。)
もう復活は無いのですね。 (´;ω;`) ザンネンデス
次回に続きます。
下関貨物を堪能した後は廃止となった宇部興産専用線(2014年3月廃止)があった
美祢へ向かいました。
まずは美祢駅の貨物ヤードへ行ってみました。かつてDD51やスイッチャー君が
留置されていた場所は・・・
雑草が生い茂っていましたが、ほぼ廃止時の状態でした。
ここの一番の撮影地だった、貨物ヤード横の大カーブも
そのままの姿を残していました。
線路内は雑草も無くきれいな状態でした。まるで今でも手を入れているかの様です。
途中の踏切も遮断棒は外されていましたが、踏切警報機自体はそのままでした。
こうして見ると、まだいつでも復活できる状態に見えます。
工場入口近くまでは線路は完全に残っていました。
風情のあった工場入口前の踏切も
遮断棒は撤去されていましたが、それ以外はそのままでした。
踏切小屋もそのままでした。
最後に工場内の方を見てみると・・・ んっ!? えっ!?
なんと!! 工場内の線路は剥されてしまっていました。 。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
工場内にいたタキ車やスイッチャー君たちも、もう解体されてしまったのでしょうか。
実は専用線廃止後、約2年前に工場見学ツアーでここを訪れた際には工場内に
タキ1100たちがまだ残っているのを確認していました。
(動いているバスの車内から撮影した為、ピントが合っていない写真ですみません。)
もう復活は無いのですね。 (´;ω;`) ザンネンデス
次回に続きます。