惜別 宇高航路 [フェリー・艦船・船]
御存じの方も多いと思われますが、岡山県玉野市の宇野港と香川県高松市を
結んでいた宇高航路が四国急行フェリーの撤退により、12/15をもって運航休止
となってしまいました。
私が最後に乗船したのは約1年前(→こちら)の高松→宇野が最後となって
しまいました。本当は9月の引っ越しの前にもう一度乗船したかったのですが、
時間は無くて乗船できなかったのが悔やまれます。
1年前の時点ですでに1日5往復まで削減され、気軽に乗船できないダイヤに
なっていたこともあってか、乗船代は激安だったのに船内はガラガラで今回の
航路休止を予感させる状態でした。
それでも徒歩客の姿もみられ、この航路が住民の日常の足に使われている
事を示していました。
かつて航路が盛況な頃、フェリー乗り場は常に乗船の順番待ちの多くの車で
溢れていましたので、寂しい限りです。
ここで活躍して来た船たちを紹介します。
第八十玉高丸 この船は共同運航していた津国汽船が運航を担当していました。
玉高丸の名前は、玉野市と高松市から1字ずつ取って名付けられています。
第八十五玉高丸
後部には航路の宇野⇔高松の文字が誇らしげに掲げられていました。
第八十五玉高丸
第一しょうどしま丸 2017年の3月に玉高丸の2隻が引退し、小豆島航路で
活躍して来た第一しょうどしま丸が1隻で宇高航路を守って来ました。
宇高航路へ転じたのちに側面には「四国フェリー」のロゴと
船首には「うどん県マーク」が描かれました。
最後に乗船した時に船内で食べたうどんの味は格別でした。
宇高航路といえば2012年まで就航していた宇高国道フェリーの事も忘れる事が
出来ません。かつては四国フェリーと競合し、終夜運航でそれぞれが1日50往復
も運行して時代がありました。フェリー乗り場の近くにいるといつでもフェリーたちの
姿を見る事が出来ました。
宇高国道フェリーで活躍していた船たちです。
こんぴら丸
こくどう丸
たかまつ丸
フェリーの車両甲板はいつもトラックでいっぱいでした。
高松港では四国フェリーグループのフェリー同士の競演も見る事が出来ましたが、
この光景も過去のものとなってしまいました。
正直覚悟はしていましたが、伝統ある宇高航路が休止になってしまい、本当
に残念です。
【おまけ】
宇野港のフェリー乗り場近くの建物には懐かしの宇高連絡船のパネルが
掲げられています。
この写真を見ると、改めて泣けてきます。
結んでいた宇高航路が四国急行フェリーの撤退により、12/15をもって運航休止
となってしまいました。
私が最後に乗船したのは約1年前(→こちら)の高松→宇野が最後となって
しまいました。本当は9月の引っ越しの前にもう一度乗船したかったのですが、
時間は無くて乗船できなかったのが悔やまれます。
1年前の時点ですでに1日5往復まで削減され、気軽に乗船できないダイヤに
なっていたこともあってか、乗船代は激安だったのに船内はガラガラで今回の
航路休止を予感させる状態でした。
それでも徒歩客の姿もみられ、この航路が住民の日常の足に使われている
事を示していました。
かつて航路が盛況な頃、フェリー乗り場は常に乗船の順番待ちの多くの車で
溢れていましたので、寂しい限りです。
ここで活躍して来た船たちを紹介します。
第八十玉高丸 この船は共同運航していた津国汽船が運航を担当していました。
玉高丸の名前は、玉野市と高松市から1字ずつ取って名付けられています。
第八十五玉高丸
後部には航路の宇野⇔高松の文字が誇らしげに掲げられていました。
第八十五玉高丸
第一しょうどしま丸 2017年の3月に玉高丸の2隻が引退し、小豆島航路で
活躍して来た第一しょうどしま丸が1隻で宇高航路を守って来ました。
宇高航路へ転じたのちに側面には「四国フェリー」のロゴと
船首には「うどん県マーク」が描かれました。
最後に乗船した時に船内で食べたうどんの味は格別でした。
宇高航路といえば2012年まで就航していた宇高国道フェリーの事も忘れる事が
出来ません。かつては四国フェリーと競合し、終夜運航でそれぞれが1日50往復
も運行して時代がありました。フェリー乗り場の近くにいるといつでもフェリーたちの
姿を見る事が出来ました。
宇高国道フェリーで活躍していた船たちです。
こんぴら丸
こくどう丸
たかまつ丸
フェリーの車両甲板はいつもトラックでいっぱいでした。
高松港では四国フェリーグループのフェリー同士の競演も見る事が出来ましたが、
この光景も過去のものとなってしまいました。
正直覚悟はしていましたが、伝統ある宇高航路が休止になってしまい、本当
に残念です。
【おまけ】
宇野港のフェリー乗り場近くの建物には懐かしの宇高連絡船のパネルが
掲げられています。
この写真を見ると、改めて泣けてきます。