11月某日 神奈川臨海鉄道 [神奈川臨海鉄道]
1ヶ月前のネタですが、かなりんを撮影に出かけて来ました。
まずは川崎貨物駅近くの定番ポイントで301レから撮影します。DD602が列車を
牽いてやって来ました。
その後は返しの307レを待ちましたが、ウヤだったので川崎貨物駅へ。構内では
DD603とDD602が絶賛入換え中でした。
クラの前ではDD55 18が昼寝中でした。
お隣の川崎車両所も覗いてみましたが、構内はシーンとしていたので、
千鳥線へ移動し203レを待ちましたが、こちらも見事にウヤでした。 orz.
その後は午後の浮島線でJXTGエネルギー川崎製油所専用線を行く310レを
撮る事にしましたが時間があったので、約10年ぶりに浮島町駅へ。
ここから日本石油輸送川崎メンテナンスセンター専用線が分岐しています。
メンテナンスセンター専用線では緑灰のタキ1000が多数留置されていました。
ここのぬしのスイッチャー君も健在でした^^
ここでは石油タキ車のメンテナンスやタンク内洗浄が行なわれています。
日本石油輸送川崎メンテナンスセンターを見学した後は301レを撮影にJXTG
エネルギー川崎製油所専用線の唯一の撮影ポイントへ。
まずは専用線への送り込みの単309レを待ちますが・・・ ガビーン!! またまた
ウヤでした。 orz.
仕方がないので、目の前にある末広町駅を撮影する事にします。
ここも約10年ぶりの訪問です。ここはクリーン川崎号の着駅で、梶ヶ谷貨物
ターミナル駅から廃棄物専用コンテナがやって来ます。
この日も浮島処理センターを往復するコンテナを積載したトラックたちを多数
見る事が出来ました。
こちらがクリーン川崎号に積載されるコンテナたちです。廃棄物の種類別に
いくつかの形式が製造されています。
こちらが車票です。
どうでもいいネタですが、初期に制作されたコンテナには『キレイクン』がペイント
されていましたが、
キャラクターの交代!?により、近年製造のコンテナには『かわるん』がペイントされ
ています。
ウヤ祭りで心が折れてしまったので、最後は川崎車両所にもう一度寄ってこの日
の撮影は終わりにしました。
構内には矢橋工業のホキ9500や
太平洋セメントのタキ1900
東邦亜鉛のトキ25000など、今となっては貴重な私有貨車が盛り沢山でした。
また、こよっと。 (゚∀゚)
今回が年内最後の更新になります。今年も1年お付き合い頂き有難うございました。
来年も何卒よろしくお願い致します。 <(_ _)>
まずは川崎貨物駅近くの定番ポイントで301レから撮影します。DD602が列車を
牽いてやって来ました。
その後は返しの307レを待ちましたが、ウヤだったので川崎貨物駅へ。構内では
DD603とDD602が絶賛入換え中でした。
クラの前ではDD55 18が昼寝中でした。
お隣の川崎車両所も覗いてみましたが、構内はシーンとしていたので、
千鳥線へ移動し203レを待ちましたが、こちらも見事にウヤでした。 orz.
その後は午後の浮島線でJXTGエネルギー川崎製油所専用線を行く310レを
撮る事にしましたが時間があったので、約10年ぶりに浮島町駅へ。
ここから日本石油輸送川崎メンテナンスセンター専用線が分岐しています。
メンテナンスセンター専用線では緑灰のタキ1000が多数留置されていました。
ここのぬしのスイッチャー君も健在でした^^
ここでは石油タキ車のメンテナンスやタンク内洗浄が行なわれています。
日本石油輸送川崎メンテナンスセンターを見学した後は301レを撮影にJXTG
エネルギー川崎製油所専用線の唯一の撮影ポイントへ。
まずは専用線への送り込みの単309レを待ちますが・・・ ガビーン!! またまた
ウヤでした。 orz.
仕方がないので、目の前にある末広町駅を撮影する事にします。
ここも約10年ぶりの訪問です。ここはクリーン川崎号の着駅で、梶ヶ谷貨物
ターミナル駅から廃棄物専用コンテナがやって来ます。
この日も浮島処理センターを往復するコンテナを積載したトラックたちを多数
見る事が出来ました。
こちらがクリーン川崎号に積載されるコンテナたちです。廃棄物の種類別に
いくつかの形式が製造されています。
こちらが車票です。
どうでもいいネタですが、初期に制作されたコンテナには『キレイクン』がペイント
されていましたが、
キャラクターの交代!?により、近年製造のコンテナには『かわるん』がペイントされ
ています。
ウヤ祭りで心が折れてしまったので、最後は川崎車両所にもう一度寄ってこの日
の撮影は終わりにしました。
構内には矢橋工業のホキ9500や
太平洋セメントのタキ1900
東邦亜鉛のトキ25000など、今となっては貴重な私有貨車が盛り沢山でした。
また、こよっと。 (゚∀゚)
今回が年内最後の更新になります。今年も1年お付き合い頂き有難うございました。
来年も何卒よろしくお願い致します。 <(_ _)>
惜別 宇高航路 [フェリー・艦船・船]
御存じの方も多いと思われますが、岡山県玉野市の宇野港と香川県高松市を
結んでいた宇高航路が四国急行フェリーの撤退により、12/15をもって運航休止
となってしまいました。
私が最後に乗船したのは約1年前(→こちら)の高松→宇野が最後となって
しまいました。本当は9月の引っ越しの前にもう一度乗船したかったのですが、
時間は無くて乗船できなかったのが悔やまれます。
1年前の時点ですでに1日5往復まで削減され、気軽に乗船できないダイヤに
なっていたこともあってか、乗船代は激安だったのに船内はガラガラで今回の
航路休止を予感させる状態でした。
それでも徒歩客の姿もみられ、この航路が住民の日常の足に使われている
事を示していました。
かつて航路が盛況な頃、フェリー乗り場は常に乗船の順番待ちの多くの車で
溢れていましたので、寂しい限りです。
ここで活躍して来た船たちを紹介します。
第八十玉高丸 この船は共同運航していた津国汽船が運航を担当していました。
玉高丸の名前は、玉野市と高松市から1字ずつ取って名付けられています。
第八十五玉高丸
後部には航路の宇野⇔高松の文字が誇らしげに掲げられていました。
第八十五玉高丸
第一しょうどしま丸 2017年の3月に玉高丸の2隻が引退し、小豆島航路で
活躍して来た第一しょうどしま丸が1隻で宇高航路を守って来ました。
宇高航路へ転じたのちに側面には「四国フェリー」のロゴと
船首には「うどん県マーク」が描かれました。
最後に乗船した時に船内で食べたうどんの味は格別でした。
宇高航路といえば2012年まで就航していた宇高国道フェリーの事も忘れる事が
出来ません。かつては四国フェリーと競合し、終夜運航でそれぞれが1日50往復
も運行して時代がありました。フェリー乗り場の近くにいるといつでもフェリーたちの
姿を見る事が出来ました。
宇高国道フェリーで活躍していた船たちです。
こんぴら丸
こくどう丸
たかまつ丸
フェリーの車両甲板はいつもトラックでいっぱいでした。
高松港では四国フェリーグループのフェリー同士の競演も見る事が出来ましたが、
この光景も過去のものとなってしまいました。
正直覚悟はしていましたが、伝統ある宇高航路が休止になってしまい、本当
に残念です。
【おまけ】
宇野港のフェリー乗り場近くの建物には懐かしの宇高連絡船のパネルが
掲げられています。
この写真を見ると、改めて泣けてきます。
結んでいた宇高航路が四国急行フェリーの撤退により、12/15をもって運航休止
となってしまいました。
私が最後に乗船したのは約1年前(→こちら)の高松→宇野が最後となって
しまいました。本当は9月の引っ越しの前にもう一度乗船したかったのですが、
時間は無くて乗船できなかったのが悔やまれます。
1年前の時点ですでに1日5往復まで削減され、気軽に乗船できないダイヤに
なっていたこともあってか、乗船代は激安だったのに船内はガラガラで今回の
航路休止を予感させる状態でした。
それでも徒歩客の姿もみられ、この航路が住民の日常の足に使われている
事を示していました。
かつて航路が盛況な頃、フェリー乗り場は常に乗船の順番待ちの多くの車で
溢れていましたので、寂しい限りです。
ここで活躍して来た船たちを紹介します。
第八十玉高丸 この船は共同運航していた津国汽船が運航を担当していました。
玉高丸の名前は、玉野市と高松市から1字ずつ取って名付けられています。
第八十五玉高丸
後部には航路の宇野⇔高松の文字が誇らしげに掲げられていました。
第八十五玉高丸
第一しょうどしま丸 2017年の3月に玉高丸の2隻が引退し、小豆島航路で
活躍して来た第一しょうどしま丸が1隻で宇高航路を守って来ました。
宇高航路へ転じたのちに側面には「四国フェリー」のロゴと
船首には「うどん県マーク」が描かれました。
最後に乗船した時に船内で食べたうどんの味は格別でした。
宇高航路といえば2012年まで就航していた宇高国道フェリーの事も忘れる事が
出来ません。かつては四国フェリーと競合し、終夜運航でそれぞれが1日50往復
も運行して時代がありました。フェリー乗り場の近くにいるといつでもフェリーたちの
姿を見る事が出来ました。
宇高国道フェリーで活躍していた船たちです。
こんぴら丸
こくどう丸
たかまつ丸
フェリーの車両甲板はいつもトラックでいっぱいでした。
高松港では四国フェリーグループのフェリー同士の競演も見る事が出来ましたが、
この光景も過去のものとなってしまいました。
正直覚悟はしていましたが、伝統ある宇高航路が休止になってしまい、本当
に残念です。
【おまけ】
宇野港のフェリー乗り場近くの建物には懐かしの宇高連絡船のパネルが
掲げられています。
この写真を見ると、改めて泣けてきます。
水島臨海鉄道カレンダー届きました [水島臨海鉄道]
先日、発注していた『ブツ』が届きました。 ( ´∀`)
さて何でしょう!? (タイトルでバレバレですがww)
じゃーん!! 水臨カレンダーです! 今年もカレンダーを購入しました。引っ越しして
遠くなってしまいましたが、来年もこれで水臨気分を味わうつもりです。 (゚∀゚)アヒャ
ちょこっと中を紹介します。おっ!! 1月はオールスター勢ぞろいですね。
個人的にいちばん気に行ったのはコレです^^ いや~たまんないっす。
カレンダーの中にはまだ何か入っていました。 (・・?)) ナンジャ
中を確認すると、時刻表やポケット時刻表、カレンダー発売のチラシ、ピーポー
車窓ガイドの冊子とお礼のお手紙が入っていました。サービス精神旺盛ですね~
これだから水臨ファンはやめられません^^ これからも応援します。(○´∀`)ノ ガンガレー
さて何でしょう!? (タイトルでバレバレですがww)
じゃーん!! 水臨カレンダーです! 今年もカレンダーを購入しました。引っ越しして
遠くなってしまいましたが、来年もこれで水臨気分を味わうつもりです。 (゚∀゚)アヒャ
ちょこっと中を紹介します。おっ!! 1月はオールスター勢ぞろいですね。
個人的にいちばん気に行ったのはコレです^^ いや~たまんないっす。
カレンダーの中にはまだ何か入っていました。 (・・?)) ナンジャ
中を確認すると、時刻表やポケット時刻表、カレンダー発売のチラシ、ピーポー
車窓ガイドの冊子とお礼のお手紙が入っていました。サービス精神旺盛ですね~
これだから水臨ファンはやめられません^^ これからも応援します。(○´∀`)ノ ガンガレー
10月某日 京葉臨海鉄道 [京葉臨海鉄道]
お久しぶりでございます。
相変わらず、仕事が忙しくブログをサボってしまいました。当然の如く鉄分補給も
殆ど出来ていないので、年明けまでは不定期更新になりそうですが宜しくお願い
致します。 <(_ _)>
だいぶ前のネタですが、京葉臨海鉄道の浜五井駅へ行って来ました。ここに来る
のは何気に10年以上ぶりだったりします。かわいい駅名標は健在でした。
現地に到着すると、ちょうど208レが停車中でした。
編成の中には大好物の日本オイルターミナルのタキ43000の若番車や今では
貴重になりつつあるタキ44000も連結されていました。ぱっと見はタキ43000に
似ていますが、タキ43000に比べて、ちょっと短い車体ですんぐりむっくりして
いる所が個人的にお気に入りです。
目の前に停車しているので、タキ44004の細部もじっくり撮影させてもらいました。
8883レ倉賀野行きの車票が入っていました。
タキ44000といえばC重油輸送荷卸し時用の加熱管が特徴ですが、今では
C重油の輸送は行われていない為、バルブが針金で縛られて使用できない
様になっていました。
タキ車を観察したのちに列車の前の方に向かって見ると、なんと!! KD55 103が
繋がっているではありませんか!!
このカマは貴重な国鉄DD13の生き残りで、KD55 105が仙台臨海鉄道へ移籍
した今ではここの元DD13の最後の生き残りになります。一番お会いしたかった
方に会えてテンションが上がりまくりです^^
いや~シブいっすね~来て良かったです。
前回ここを訪れた時にはここでKD55 105を撮影していました。10年以上たった
今でもDD13の生き残りが撮影出来て感無量です。 (T^T)゚。
そんなこんなしていると、KD602が牽く506レがやって来ました。
506レは京葉久保田からのコキ車の編成です。ほぼスカコキ状態でしたが、
後ろの方にJOTの樹脂ホッパコンテナと
DOWA通運のUM12A産廃コンテナが載っていました。
その後、208レが千葉貨物へ向けて出発したのち、京葉久保行きの509レを
待っていると、 キタ―(゚∀゚)―!! またまたKD55 103レがやって来ました。
今度はフルコンを牽いてやって来ました。
編成の中にはお気に入りの12f 化成品コンテナも積載されていました。
短い時間の撮影でしたが、大満足です^^
また、こよっと。 (゚∀゚)
相変わらず、仕事が忙しくブログをサボってしまいました。当然の如く鉄分補給も
殆ど出来ていないので、年明けまでは不定期更新になりそうですが宜しくお願い
致します。 <(_ _)>
だいぶ前のネタですが、京葉臨海鉄道の浜五井駅へ行って来ました。ここに来る
のは何気に10年以上ぶりだったりします。かわいい駅名標は健在でした。
現地に到着すると、ちょうど208レが停車中でした。
編成の中には大好物の日本オイルターミナルのタキ43000の若番車や今では
貴重になりつつあるタキ44000も連結されていました。ぱっと見はタキ43000に
似ていますが、タキ43000に比べて、ちょっと短い車体ですんぐりむっくりして
いる所が個人的にお気に入りです。
目の前に停車しているので、タキ44004の細部もじっくり撮影させてもらいました。
8883レ倉賀野行きの車票が入っていました。
タキ44000といえばC重油輸送荷卸し時用の加熱管が特徴ですが、今では
C重油の輸送は行われていない為、バルブが針金で縛られて使用できない
様になっていました。
タキ車を観察したのちに列車の前の方に向かって見ると、なんと!! KD55 103が
繋がっているではありませんか!!
このカマは貴重な国鉄DD13の生き残りで、KD55 105が仙台臨海鉄道へ移籍
した今ではここの元DD13の最後の生き残りになります。一番お会いしたかった
方に会えてテンションが上がりまくりです^^
いや~シブいっすね~来て良かったです。
前回ここを訪れた時にはここでKD55 105を撮影していました。10年以上たった
今でもDD13の生き残りが撮影出来て感無量です。 (T^T)゚。
そんなこんなしていると、KD602が牽く506レがやって来ました。
506レは京葉久保田からのコキ車の編成です。ほぼスカコキ状態でしたが、
後ろの方にJOTの樹脂ホッパコンテナと
DOWA通運のUM12A産廃コンテナが載っていました。
その後、208レが千葉貨物へ向けて出発したのち、京葉久保行きの509レを
待っていると、 キタ―(゚∀゚)―!! またまたKD55 103レがやって来ました。
今度はフルコンを牽いてやって来ました。
編成の中にはお気に入りの12f 化成品コンテナも積載されていました。
短い時間の撮影でしたが、大満足です^^
また、こよっと。 (゚∀゚)